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永井啓子 句集「陽光の絮」[俳人]

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陽光の絮

句集「陽光の絮」

書籍情報

出版社
美研インターナショナル
内容
やさしく温かな心が季節の情感とともに感じられる
俳句とエッセイ。読む人の心に小さな幸せを運んで
くれるような作品集。

作家情報・その他

エッセイ「大自然に洗われる心と身体と」

生まれ育ったところも現在の住まいも自然に恵まれ、生活にも至便な環境といえるので、〝田園都市〟といったところでしょうか。
そういった身近な自然や四季の移ろいに目がいくようになったのも、俳句を始めたことがきっかけのような気がします。

自然に目が向くようになってから、私は山に登るようになりました。
運動音痴の上に、還暦を目前にして思いもかけず始めた〝登山〟を通して、自然からさまざまなことを教えられました。

大自然の持つ厳しさ、穏やかさ、荘厳さ……また、さまざまな生物の生態や風土など包み込むすべてのものに畏敬の念を抱きつつ、幾つかの山にチャレンジしてきました。

山に登るものにとって、三千メートル級の登山となると慎重になります。
実際、槍ヶ岳では岩を這うようにして足元を確保しながら一歩一歩進むという、まさに緊張の連続でした。
だからこそ山頂に到着したときの達成感は格別なものでした。
その上、ブロッケン現象にも遭遇し幸運でした。
大喰岳、中岳、南岳と……三千メートル級の山を次々と縦走し、お花畑に包まれ雪渓を歩き、紺碧の空に抱かれ自然との対話を心ゆくまで堪能してくることが出来ました。

また、〝日本三大霊山〟といわれている白山、立山も山頂で御来迎を拝しました。
しかし富士山だけは、私にとって崇高で畏れ多く、いままで登頂できずにおりました。
ところが今年になって世界に誇れる富士山の山開きに参加できる機会に恵まれました。
すでに日本で二番目に高い北岳にも登頂しましたし、いよいよ富士山です。
富士宮本宮での開山式に続き、ついに日本一の霊峰富士山に登頂を果たせたのです。
このことは、とても素晴らしい体験となりました。

日本では古くから山岳信仰が盛んで、人と山との間には深い関わり合いがあるといわれています。
山々には必ず山の神を祀るお社や祠などが点在しており、今日に至るまで修験僧が修行のために訪れる場となっています。
私もたびたびそうしたお社や祠に出合うと自然と手を合わせてしまいます。
崇高な山々に訪れたときのその気持ちを思い出しながら、健康や自然、あらゆる出会いに感謝することを忘れないよう心がけていきたいと思っています。

エッセイ「ひらけごま」

「ジリジリジリ」

受話器をとる。

こちらからの問いかけに応答なし。

緊張の一瞬、姿勢を正し、心を研ぎ澄ませ、祈る気持ちで待つ。待たせていただく。

電話の向こうには確かに人の気配を感じる。ひたすら待ち、ありったけの神経を受話器につけた耳に集中させる。

「ピーピピッピー」かすかに聴こえる鳥の声。

「あ!小鳥さんの声」

「……」

「小鳥さんからのお電話かしら」

しばらくの沈黙。

すると、「あのね……」とかぼそい声。
やっとラポールがとれ、心が開かれた瞬間だった。
それからの会話はぎこちないながらも徐々に進んでいく。
次第に声のトーンが明るくなっていった。

二十数年ほど前、私は〝命〟を預かる、大変責任の重い教育相談活動をしていた。

県庁本館五階。
扉は厚く(少なくとも私にはそう感じられた)、居るだけで圧迫されるような密度の濃い空気。
「相談して来られる方の涙の落ちる位置にひざまずいて聞かせていただく」という心の姿勢を常に保つ。
そうやって自分の精神も保ちながら、本人自身の力で立ち上がっていかれるのをただじっと、信じて“待つ〟のみだ。

心の痛み悲しみは相談者の立場を理解することから始まる。
少しでも緩和されたらと祈るような気持ちで……。
当然、家庭や生活を顧みる余裕などなく、そしてまた時には家族に深い理解を得ながら活動に神経を注いでいた。
この経験は、私の生活に沁み込んでそれからの生きる指針になっていると感じている。

「人は独りでは生きられない」

この複雑な世相やコミュニケーションの取りにくい時代に少しだけ勇気を出し、互いが心を開き支え合って生きて行くことができるようにと願う。
少しでも悩みを持った人のお役にたてたならと思う。
そうして今日も、明日に向かって一歩一歩、遅々とした歩を、進めていけたらと願っている。

エッセイ「新しい明日に——陽光に輝くたんぽぽ絮のように」

私は過去に大きな手術をしたことがあります。
今は健康で、登山もコーラスもしているくらいですから元気いっぱいなわけですが、その当時は私の身体のことで周りのものに随分心配をかけたに違いありません。
 
ある日のことでした。
ちょうど、メディアでは癌のことが話題になっていたころのことです。
手術からはもう三十年の月日が流れていました。
親族の集いのあった席で、突然夫の口からこんな言葉が漏れたのです。
「お前も癌だったんだよ」と。一同は唖然としました。

当時、胃の手術といえばそのほとんどが〝胃潰瘍〟と(名目上?)されていました。
確かに毎年一度の健康診断で、「潰瘍の痕がありますね」と言われていました。
でもまさか自分が癌になるなんて思ってもいませんでした。
夫のその一言を聞くまでの三十年間、〝胃潰瘍の手術〟をしたのだと信じて過ごしてきたわけです。

病院でのレントゲン、胃カメラ検査、それぞれの検査結果を待つ間もなく、先生から「すぐに手術しましょう」と告げられそのまま入院となりました。
タイミングが良いのか悪いのか、子どもは夏休み中だったこともあり、私は観念し〝俎板の鯉〟になったわけです。

術後のそれから、家族で寛いでいるときにたまたま見かけたテレビの話題で「本人に癌を告知するか否か」というテーマが出てきたときも「私は〝告知派〟だなぁ」などと平然と言っていたことがありました。
以前から本当にそう願っていたので、そのときは単純に、〝率直な意見〟を述べただけでしたが、いま考えてみると、周りで聞いていた人たちに対してなんとも無神経な発言をしてしまったようで申し訳ない気持ちになります。

果たしてそのとき本当に〝告知〟されていたら……。
少なくとも今のように登山に出かけるなんて考えなかったでしょう。
澄んだ自然の壮大な美しさや厳しさを肌で感じるという登山の醍醐味を、味わうことなど出来なかったかもしれません。

これまでの三十年もの間、胸のうちにひとり秘め、誰にも口外せずにいてくれた夫に感謝の気持ちでいっぱいで。
周囲からも、温かい愛で守られていることをあらためて感じています。

こうして一冊の本に寄せる原稿をしたためながら、今もこうして「生かされている」ということを、奇跡なんだと認識します。
それらに支えられ応えながら、新しい一日、一日を大切に積み上げていきたいと思っています。

私を守り育ててくれたこの大宇宙や大自然、みんなみんな、ありがとう!

また、生きる指針を示してくださった黒瀬先生、俳句の世界に導いてくださった熊谷先生、大先輩の方々、句友の皆様、友人、家族、それからこの本を制作するにあたってご尽力くださった方々……取り巻くすべて感謝の気持ちを表します。

ほんとうにありがとうございました。

「あとがき」にかえて

作家プロフィール
1942年 静岡県浜松市生まれ
1994年 結社「逢」入会、熊谷愛子主宰に師事
2000年 結社「逢」同人
2010年 句集「陽光の絮」上梓
2011年 俳誌「アネモネ」入会、谷川昇先生に師事
2024年 句集「風の中」上梓

元現代俳句協会会員
元静岡県現代俳句協会会員
元静岡県俳句協会会員
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